皆さんこんにちは(^^) 今日も良い読書ライフを送っているでしょうか?
今回紹介するのは著者:中村圭志さんが書かれた『教養として学んでおきたい5大宗教』という本になります。
私は今まで宗教というとあまり良いイメージが無く、怖いものや考え方が偏った人の集まりなどのイメージがあり、あまり触れてこなかったです。最近でもエホバの子供の虐待?や統一教会の献金問題などが全国的な問題として取り上げられるなどの問題も起こっています。
しかし、世界の歴史について少し本を読んだ時に、必ず『宗教』という言葉が出てきます。宗教が人の生活に密接に関わっているのもまた事実としてあり、『宗教』=『文化』といっても過言ではありません。
なので今回は宗教とはなんなのか?という疑問について全体像をまず捉えられるようになる事や、世界を代表するような信者が沢山いる大きな宗教の中身を知る事で、その宗教の教えや世界観を掴めるようにまとめてみたいと思います。
日本では主に仏教の国という認識でしたが、歴史とともに少しづつ宗教観も変わっていることがわかるので、そこら辺も学べたらと思います。
宗教を知る事で世界史や現在起こっている世界での問題も少し見えてくると思います。 今まで私みたいに宗教を全然知らないという人は正しく知る事で宗教の特性を知れたり変に怖がらなくても良くなるかと思いますので、一緒に学んでいきましょう!
※ちなみに、今回は自分の勉強として色々な宗教の世界観を知る事を目的に書いているので、各宗教間での優劣をつける事や、批判・中傷をする意図は全くありません。その点はご理解の上で読んで頂ければ幸いです。
目次
- そもそも宗教って何?
- 世界でオーソドックスな5つの宗教
- ユダヤ教
- キリスト教
- イスラム教
- ヒンドゥー教
- 仏教
- まとめ
そもそも宗教って何?
まずは、宗教と聞くとその宗教の話を『信じる』か『信じない』かと考えるのが1番にくると思います。
しかしこの感覚は現代社会になり科学が発展して、世界で起こる自然の法則や物理の法則など様々な事が説明できる時代になったからだと思います。なので、近代以前の社会では宗教による文化形成が当たり前だったことを押さえておくことが大前提となります。
では、そもそも宗教ってなんなんだろうという話ですが、本書では『霊や神のような不合理な(非科学的な)存在の働きを前提とする文化の様式』と定義しています。
ちょっと堅苦しい言い方ですが、要は『霊や神を語る文化(ファンタジー的な)』と理解してもらえれば良いかと思います。
色々な宗教の話の中には、必ず神様が登場して道徳的な訓戒や人生の指針的なものを教えるようにストーリーが出来ているものが多いです。
そのストーリーに共感して、その話に登場する神の言う事を信じる人を信者と呼んでいる・・・という解釈でひとまずは良いかと思います。
宗教の特色
宗教にも色々な特色がありますが、主に4つに分けられます。それぞれ簡単に把握しておくと、次からの話が入りやすくなると思うので紹介しておきます。
①アニミズム
- 動物や自然物、先祖などの『霊』を信じる
- 遡る事狩猟時代、人は獣や魚、木の実などを取って生活していました。その頃は人は自然の一部という感覚で暮らしていたとされています。そんな時代の人にとって動物は人と同様に意識を持つ存在です。動物や植物も自分たちと同じ霊を持つ存在であり、人にメッセージを送っていると考えられていました。
- 自然界に満ちる霊、目に見えない意識的な存在を感じながら暮らす文化を『アニミズム』と呼びます。ちなみにアニマとはラテン語で『霊』や『魂』の事です。
②多神教
- 様々な権能を帯びた『神々』を信じる
- 農業の発展とともに、人は動植物に対して優越意識を持つようになりました。種を撒いたり収穫したり、森林を焼いたり水路を引いたりして自然の一部をコントロール出来るようになったからです。農業ができる前は霊的存在としていたものも、霊というより神という存在に格上げされました。社会では格差化が進み、富裕者や豪族が地位を上げるように。
- この格差が豪傑や王者のイメージとなり、いつしか目に見えない王様のような姿の神々を各民族は作り出して拝むようになりました。それは家族単位のものから村単位、あるいは地域ごとにそれぞれの因縁ある個性的な神々を作り出して拝むのですから、それらの神々を足し合わせたら多神教となります。
- 例えば雨を降らして欲しいときは豊穣の神に拝み、戦さがあれば戦争の神に拝むのです。身近なものでは、試験に合格したい時は神社に合格祈願としてお祈りして絵馬を書くなども学問の神様に拝むのです。
- 効果の有無は分かりませんが、これらの神を信仰する事で、同じ神を信じる人同士で共同意識を高める効果はあると思います。雨乞いは水が足りなくて怖い・不安という危機意識の共有、戦いの神に祈る事で、兵士の士気が上がるなどです。
- 多神教は地域ごと、民族ごとで多種多様に存在します。インド神話やギリシャ神話、中東神話、そして日本では日本神話がありました。歴史とともに一部は無くなり、一部は今日も存在しています。
③一神教
- 宇宙の独裁者である『唯一神』の権威に服する
- 人類は想像力が発達していき、全宇宙を支配圏に治めるような強大なものを求めるようになります。なので、〇〇の神などいろんなジャンルに分かれた多神教の神よりも、全てにおいて優れている神を求めたので、それが一神教の神(唯一神)です。
- 1人の神様がどんな奇跡でも起こして、あらゆる人間の祈りを聞いている。逆に言えばあらゆる人を天空から監視していて、人間に善と悪を示します。そして人に啓示を与え、教典を与えます。ちなみに啓示を授かった人を預言者と呼びます。
- 唯一神は世界の創造者で、全知全能で、絶対善(常に正しい)という存在です。色々な哲学者や預言者が唯一神を唱えましたが、ほとんどが後世に残らないものでした。その中で唯一神信仰で大成功したのが古代イスラエル民族(現在はユダヤ人)のヤハウェ信仰でした。
- 元々は中東の多神教世界の中の神でしたが、イスラエルの民はこれを唯一神として天地創造の神と解釈しなおしました。この伝統からユダヤ教が生まれ、その後ユダヤ教が誕生し、さらにその後にキリスト教やイスラム教が派生していきます。
④悟りの宗教
- 人生の霊妙な理法を『悟る』事を目指す
- 悟りの宗教といえば仏教ですね。でも、悟る事を目指すってなんだろう?と読んでいてはじめに思いました。曰く、悟るとは『迷いを振り払って真理に至る』みたいな感じです。発祥はインドで、あらゆる生き物の運命を司る⦅輪廻⦆の法則を信じる人たちから始まりました。
- 一神教では死後に神様から天国か地獄に仕分けられますが、仏教では善人は好ましい生に生まれ変わり、悪人は悪しき生に生まれ変わります。それは全て『自業自得』と言われます。自業自得って仏教用語だったんですね^_^
- 厳しい修行によりこの輪廻の束縛から逃れられる(解脱というらしい)という思想も存在します。この命の輪廻から逃れられた先に向かう理想的な状態を仏教では⦅涅槃⦆と呼ばれます。ちなみにヒンドゥー教では⦅ブラフマン⦆と呼ばれてます。
- 仏教の究極的理想は悟りの境地は、涅槃に至る事(成仏すること)で、ヒンドゥー教ではブラフマンに融合することが究極的理想と言われてます。
- ちなみに仏教は、中国や日本にも伝わってそれぞれ派生しています。中国では儒教や道教というものが浸透しており、儒教は(仁)が人の進む理想と考え、そのために礼儀を尽くすことを勧めています。道教では(道「タオ」)が人のならうべき見本と考え、無為自然に生きる事を推奨しています。簡単にいえば、儒教も道教も一種の悟りを求める事を推奨しているのです。
- 仏教式に悟った人が『仏』と呼ばれ、儒教式に悟った人は『君子』、道教式の悟った人は『仙人』と呼ばれます。
さて、主に4つの種類に分けて説明しましたが、それぞれ一長一短あります。各宗教ではそれぞれにストーリーがあり、その中で信じる神のすごい武勇伝が散りばめられており、そのストーリーや戒律、学びなどに共感できた人が信者ということになるかと思います。次からは主に世界の中でも信者が多い宗教について簡単に説明していきたいと思います。
世界でオーソドックスな5つの宗教
世界には歴史的に関わりが深く信者が多い宗教が本書でいつくか紹介されていたので、この宗教を押さえとけば世界的に大きな宗教がわかる!というのを紹介します。
中東生まれ |
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インド生まれ |
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東アジア |
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ちなみに東アジア生まれの宗教は仏教と相互に影響し合っているので、今回は儒教・道教・神道もまとめて『仏教』として紹介していきます。なので、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教を5大宗教として今から学んでいきましょう!
ユダヤ教
このユダヤ教はキリスト教やイスラム教を生み出した母体となる宗教です。しかし信者は世界的にはそんなに多くありません。総数はおよそ1500万人程度と言われています。
アメリカ、ヨーロッパ、中東各地に散って暮らしています。ユダヤ教はユダヤ人の『民族宗教』と呼ばれています。その起源を見ていきましょう。
超古代から始まる
今から3000年ほど前(紀元前1000年前後)に遡ります。その頃の先進的文明は中東に多くありました。
有名なところではイラクのあるところにはメソポタミア文明が、ナイル川流域にはエジプト文明があり、大規模な灌漑で農業を営み、巨大な神殿やピラミッドや都市国家を持つ文明です。
そこで多くの民族が互いに交流や衝突を繰り返して、多神教から一神教への進化ぎ起こります。その中でユダヤの先祖様たちのたいへんローカルな信仰からユダヤ教が出来てきます。
小規模な半遊牧民集団だった彼らは、大国に負けないように宗教連合を作り団結していました。その場所こそイスラエル国のあるパレスチナ地域です。
彼らが信じる神は『ヤハウェ』と呼ばれています。しかし、神様の名前を直接呼ぶことは畏れ多いという事で、主(アドナイ)と呼ばれています。
モーセ
ユダヤ教の中のストーリーは何部かに構成されていますが、その中でも有名な話として『出エジプト』があります。ここが神様信仰として大切な話だと思いますので、簡単に説明しますね。
エジプトといえばピラミッドをはじめ多くの歴史的建築物があり、また紀元前ではエジプト文明といえば高度な文明として有名です。
伝承ではイスラエルの民は居留民として都市の建設に従事していましたが、それがいつしか奴隷労働のようになってしまいました。
ここに『モーセ』という男が、神ヤハウェの啓示を受けてイスラエルの民を解放するように交渉します。その時に神の力を借りて神通力を見せつけて脅しをかけたりもしました。
それを見たエジプト王は民の解放を約束しました。モーセとその他イスラエルの民は砂漠の中を歩いて移動しました。目的地は『カナンの地』です。
しかしエジプト王は気分が変わってイスラエルの民を捕まえるために大量の軍に後を追わせました。
そしてエジプトとパレスチナの境にある海まで来て、モーセたちは追い詰められましたが、その時モーセが神に頼んで奇跡を起こします。それが有名な『モーセが海を割る』奇跡です。
イスラエルの民はその割れた海を渡り切りましたが、その後を追いかけてきたエジプト軍は海が戻ったことで溺れてしまいました。
それからも旅を続けてその途中、モーセは神様にシナイ山の頂上まで呼び出されます。そして10の約束事が描かれた石板を受け取ります。
その中に書かれていたものが有名な『モーセの十戒』です。それを受け取りその教えを守るように言いました。
その後もなんやかんやあった末に、ついにイスラエルの民はカナンの地へ着きました・・・という話です。
ちなみに、なんやかんやとはしょりましたが、カナンの地へ着いたのはエジプトを出てから40年くらい後の話です。途方もない長旅をしたのですね。
さらに、モーセはカナンの地に着く少し前に亡くなっており、モーセの跡を継いだヨシュアを指導者としてこの旅は終わっています。
先ほどの話から、ヤハウェは民族を解放した『救いの神』と同時に、イスラエルの民に戒律を定めた『律法の神』でもあります。
律法とは法律とほとんど同じですが、法律は人間が作ったもので、律法は神様が作った決まり事という解釈で良いかと思います(ユダヤ人の言葉でトーラーと言われています)。ちなみに5書の律法が存在します。
モーセの十戒は我々日本人でいう『憲法』にあたるくらい大切なものです。その内容は端的で理解しやすい内容ばかりなので紹介していきます。
- ヤハウェ以外の神を自分の神としない
- 偶像礼拝はダメ
- ヤハウェの名前をみだりに唱えない
- 安息日(7日間に1回の絶対休息の日)を守る
- 父母を敬え
- 殺すな
- 姦淫するな
- 盗むな
- 偽証するな
- 隣人の妻や家畜や財産を欲するな
①〜③は神に対する律法で、④〜⑩は人としての行動に言及する様な内容です。
この中で安息日がある事がなかなか面白いです。ユダヤ暦では毎週土曜日が安息日となります。
この日は祈りの日であり、絶対に労働してはいけません。火を起こす事も労働に入る様で、調理は前日までに済ませておく様です。
この安息日は旧約聖書の『創世記』で神が世界を7日で作った時に、最後の1日を休んだという所から安息日は来てる様です。それは後述するキリスト教やイスラム教でも取り入れられています。
ユダヤ教のあれこれ
宗教にはそれぞれ独特なルールが存在します。無神論者からは考えられないなと思う事も、信者からすれば当たり前に行われる事があります。その中からユダヤ教に関するものを少し紹介していきます。
男子の赤ちゃんは割礼を行うのが伝統としてあったみたいです。ちなみに割礼とはペニスの包皮の一部を除去して亀頭を露出させることです。考えただけでも痛そうですね。
思春期に行う宗教的成人式もある様で、少年(13歳)はバルミツバ、少女(12歳)はバトミツバと呼ばれる事をするみたいです。
ちなみに、ミツバとはユダヤ教の戒律のこと表しています。先ほど記述した戒律を守ることが出来る年齢=成人とされる様です。ちなみに、『成人』と言ってますが、我々が考える18歳以上が・・・とかではありません。
結婚できるとか、選挙権があるという事でもありません。これは神様の前で善悪の分別がつく事を認識して、責任を持って行動することが出来る年齢ということになります。
内容に関しては、13歳または12歳の誕生日迎える週の礼拝の中で成人の儀式を執り行います。
羊皮紙にモーセの律法が記された『テフィリン』というテープを額と腕に巻いて、『タリート』いう布をまといます。
そして、その週に読む聖書を朗読するというものです。この儀式が終わって正式に大人として迎えられ、その後は親族や友人たちと盛大なパーティーをするという流れみたいです。
年間行事としては、9月/10月に1年の罪をお祓いする『贖罪の日』や、野外に仮小屋を建てて過ごす『仮庵(かりいお)の祭り』があります。
2月/3月には子供達が仮装する『プーリム』(なんでもいいみたいで、日本のアニメのコスプレも人気だとか)。
3月/4月にはエジプトからの脱出を記念する『過越し(すぎこし)の祭り』など1年を通してたくさんの行事が存在するみたいです。
旧約聖書
聖書は有名ですが、何が書かれているのでしょうか?私は読んだことがありませんが、聖書は旧約聖書と新約聖書の2部に分かれています。
新約聖書はキリスト教徒のみの聖書で、主にキリストについて書かれています。それよりも古い旧約聖書は、ユダヤ教徒とキリスト教徒どちらも教典としています。
ちなみに旧約とは、『神様との旧い(ふるい)契約』という意味で、クリスチャン(キリスト教徒)だけの呼び方です。ユダヤ人はタナハと呼んでいるそうです。
旧約聖書の中核をなすのが巻頭5書で、『律法』です。残りの部分は『預言者』と『諸書』と言われています。
律法 | 創世記 出エジプト記 レビ記
民数記 申命記 |
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預言者 | イザヤ書 エレミヤ書
エゼキエル書 など |
諸書 | 詩編 箴言(しんげん) ヨブ記
ダニエル書 など |
律法の創世記では、有名な話で『天地創造』、『人祖アダムとイヴの失楽園』、『ノアの方舟』、『バベルの塔』など、物語として結構楽しめるものが多いです。
出エジプト記では、イスラエルの民がエジプトを出た経緯や、指導者モーセを通じて神の律法を授かる経緯などが書かれています。
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルは預言者の名前の様です。預言とは『神の言葉を預かること』。
民衆が信仰が行えておらずだらしない時に、神からの啓示を受けたといい民衆を叱ったりなだめたり希望を説いたりする、それが預言者と言われていた様です。
各書の内容に関しては本書では触る程度にしか解説がなかったので、気になる方はご自身で調べていただければと思います。
キリスト教
キリスト教はユダヤ教から派生した宗教です。ユダヤ教徒は長らく救世主(メシア)が現れるのを待っています。
このメシアをギリシャ語で言うと『キリスト(発音はクリストス又はハリストスなどに聞こえる様ですが)』です。ユダヤ教やイスラム教は今でも救世主が現れる時を待っていますが、キリスト教では『キリストが救世主』として扱われる宗教になります。
ちなみにキリストでは?と噂されたのがイエスという人物です。なので救世主のイエスという意味で、イエス・キリストと言われているのですね。私はてっきりこれ自体が名前だと思っていました^_^
ちなみに、キリスト教は世界で最も信者数が多く、約20億人以上を誇っているみたいです。
それでは今からキリスト教のストーリーを簡単に説明していきます。
歴史上のイエス
イエスは大工のヨセフとマリアの子供でした。家業を継いで大工として働いていました。イエスは処女であったマリアが神の御使のガブリエルから予言を受けて身籠る事を聞きました。そして、本当に身籠ったという経緯があり、生まれた子供がイエスだったという事です。
イエスは30歳頃より独立の宗教家として活動を始めます。
『神の国』の到来を説いたり、各地で病気治しをして各地をまわります。しかし、民衆を扇動するのもとして逮捕され、ユダヤ教祭司の判決とローマ総督の裁判を受けて有罪になり、帝国の犯罪者として十字架刑に処されました(死刑)。
イエスは生涯で様々な力を発揮して人の力ではなし得ない事を行なってきたという逸話がたくさんあります。
故に死後も信者が増えていきました。そんな奇跡を起こしたという話を簡単にまとめます。
【奇跡的な誕生】
神のお告げで処女であったマリアから生まれたとされています。
【悪魔に勝つ】
よくわかりませんが、荒野で悪魔に試みられたイエスは見事に悪魔を退散させた・・・様です。
【奇跡を起こす】
医療が発展していないにも関わらず、人々の病を治し、さらには死者も蘇らせたという話もあります。これが旧約聖書の予言の成就であり、『神の国』の到来を告げるものだった様です。
【人類の罪を背負う】
悪魔に負けた弟子の『ユダ』が当局にイエスを売り渡しました。これが原因でイエスは逮捕され十字架刑となりました。これはイエスが人類の罪を背負って『贖罪する』という神の計画だったという話もあります。ちなに、裏切り者の事をユダと表現することがありますが、この弟子の名前から来ているみたいですね。
【復活と再臨】
十字架刑により処刑されたイエスでしたが、死後3日で復活し、弟子たちの前に姿を現してその後に天に上げられました。そして今は神と共に天にいて、世界終焉の時に再臨すると信じられています。そこで人々は最後の審判を受けて、正しい者は天国へ、悪しきものは地獄に行くと言われています。
実際はどうだったのか今は確かめようがありませんが、当時のイエスはそれれほど愛に満ちた宗教家だったのかなと推察します。
神のイメージが変わった
ここでユダヤ教とキリスト教の神のイメージが少し違う様に感じました。
ユダヤ教の神ヤハウェはイスラエルの民を救う限定的な神でしたが、キリスト教では貧者、病人、罪人といった社会で弱い立場の人々と共に暮らして、その人たちを癒し、なぐさめ、赦したりしたとされています。
なので、ユダヤ教は民族を救う神のイメージであったのが、キリスト教では民族関係なく、個人単体で全人類を救う神のイメージとなっています。
また、ユダヤ教では戒律を守る事を重視しているのに対して、キリスト教では戒律を守れるかどうかではなく、キリストへの信仰に専念することに重きを置いています。
三位一体
ユダヤ教から派生したキリスト教ですが、どちらも一神教です。
しかしここで矛盾が生じています。イエスも神でヤハウェも神という問題が生じており、神が2柱となっています。
さらに、信者は聖霊も神として崇めていました(聖霊は信者に働く神秘的な信仰の力の様です)。これで神が3柱となりました。
どんな経緯かはわかりませんが、なんやかんやあって協会は結局この3つの存在は『1体』である!と結論づけました。
これを『三位一体』と言います。この唯一の神は3つのペルソナ(位格)として存在します。
- 父なる神・・・創造神ヤハウェ、
- 子なる神・・・イエス・キリスト、
- 聖霊なる神・・・信者に働く霊
この3神は別々の存在ではあるけれども1つなんだと、だから一神教ではある!・・・という建前みたいです。めちゃくちゃですが。
しかし、信者はこれを無条件に信じることにしているみたいです。信仰を大事にしてるからなのでしょうか?
イスラム教
最初はユダヤ教から始まり、西暦が始まった頃にキリスト教が分派。そして7世紀頃に入ると2つの宗教の影響から新たにイスラム教が誕生しました。
イスラム教はユダヤ教とキリスト教を『尊重』し、改宗を迫らないと言います。
開祖は預言者のムハンマドと言われており、神の啓示とされている『コーラン』と共に、ユダヤ教の律法や詩篇、キリスト教の福音書も『啓典(唯一神の啓示の書)』として重視してます。これは同じ神がユダヤの預言者たちやキリスト、そしてムハンマドへ順繰りに啓示を下してきたと解釈されている為です。
神の言葉の最終バージョンとしてのコーランが1番でしょ!と信者は思っているのかもしれません。
イスラム教はユダヤ教に似て戒律を重んじて生活しています。コーランの規範を組織的に展開した『イスラム法(シャーリア)』を軸に生活している様です。
アラビア語のイスラームとは、神(唯一神)への帰依という意味です。神への帰依者はムスリムです。一神教徒は皆ムスリムということになりますが、主にイスラム教徒を指しています。
預言者ムハンマド
イスラム教の開祖であるムハンマドとはどんな人物だったのでしょうか?本書から簡単に説明します。
ムハンマドはアラビア半島にあるメッカ市の交易商人でした。篤実な商人として成功してましたが、40歳頃にメッカ郊外の山の洞窟で瞑想を行なう様になりました。
そしてある日に唯一神から啓示を受けたとされています。
それ以降ムハンマドは『アッラーの使徒』として人々にお告げを伝えていきます。こういう事を行うと信者も増えますが、反発する人も出てきます。
社会秩序を乱す者として嫌われたムハンマドは迫害を受ける様になりました。そこで信者とともにメッカから少し離れているヤスリブという街に移住し、そこで政治的宗教家として采配をふるいました。
ムハンマドは632年に亡くなりましたが、教友たちが暗記していたアッラーの言葉を集めて一冊の本にまとめ、コーランが完成しました。ムハンマドが亡くなった後はこのコーランが信者たちの生活の指針となりました。
このコーランの内容の一部は、社会的弱者を保護を旨とする内容です。万人に分け隔てなく慈悲を賜ります。
女性の権利を巡っても書かれており、以前はアラブの部族は嬰児殺しをやってましたが(嬰児=0歳の子供のとこ。0〜3歳という意見もある)、特に女の子が殺されることが多かったですが、コーランではこれを禁止しています。また、女性の遺産相続権も公式に認められており、歴史的には画期的なことでした。英国では20世紀になるまで女性の相続権がなかった事を考えるとすごい事ですね。
しかし、女性の権利を良くしようとする一方で、現代の男女平等とは形が少し違っています。相続権は男性の半分。男性は女性の『保護者』という規定もあります。
また、女性の身だしなみに関しては、体の美しいところを覆う様に推奨されており、ヒジャブという布で体を覆い体のラインを隠す様に決められています。
仏教やキリスト教、ユダヤ教ではこの様な規定がない為、私たちからすると違和感があります。すべての宗教で言えることですが、掟や戒律はそう易々と変えられるものではありません。
神を信じる人にとって、その内容は神がお告げをした内容なので、おいそれと変えることは出来ないのです。これが時代の流れとマッチしていない時に軋轢を生んで問題となることもしばしば見受けられます。この掟や戒律というのは、一体感があるなどいい面でもあり近代的な考え方とズレが大きくなっているという問題もあるかなと感じました。
6信5行
伝統的にイスラム教徒が信じる内容は『6信』としてまとめられ、行うべきものは『5行』としてまとめられています。
6信
- 神→唯一神(アッラー)
- 天使→複数いる霊的存在
- 使徒→ムハンマドの他にモーセやイエスなども
- 啓典→コーランの他にユダヤ教の律法やキリスト教の福音書など
- 来世→終末の審判の後の楽園(天国)と火獄(地獄)
- 定命→人間の運命を神が定めていること
5行
- 信仰告白→アッラーとムハンマドへの信仰を告白する
- 礼拝→日に5回礼拝する(未明、昼、日没前、日没後、夜)
- 喜捨→定額を納めるもので、貧者などに分け与えられる
- 断食斎戒→ラマーダン月の昼間に行う断食及び性的禁欲
- 巡礼→巡礼月のメッカへの作法通りの巡礼
キリスト教では週に1回教会に行けたら良い方で、仏教の日本でも仏壇にチーンと音を鳴らして手を合わせるのを年に何度かやるくらいしか宗教的な行動をとりません。
それに比べると、毎日5回礼拝をすることや断食、巡礼などが決められているなど、行動させる系のものが多い印象です。
その為、宗教的な考えや行動が日常的にあり、宗教が生活の一部にまで入り込んでいるのが特徴かなと感じます。
イスラム法
コーランの教えに沿った生活規範の体系をイスラム法と呼んでいます。これは近代社会の六法全書と似た様なもので、民法、商法、刑法など備えた内容です。
イスラム諸国では民法周りを中心に部分的に運用されている感じです。社会的な法や刑法に関しては西洋伝来の近代法が制定されている様です。
イスラム法が扱っている内容をしたの表に簡単にまとめてみました。
儀礼 | 礼拝の浄めのしかた、喜捨、断食や巡礼の規定、冠婚葬祭のしかた、偶像崇拝禁止 など |
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家庭 | 結婚や離婚の契約の仕方、遺産相続の割合 など |
社会 | 売買や贈与に関する契約の仕方、利子の禁止、誓約の仕方、信仰防衛の戦い(聖戦)の規定 など |
刑事事件 | 殺害や傷害に対する同害報復刑、姦通や飲酒や高額の窃盗に対する身体刑、定額窃盗や詐欺、賄賂に対する矯正刑 など |
また、イスラム法では義務・推奨・許容・忌避・禁止までの5段階評価で示されます。
例えば、礼拝は義務になります。なのでイスラムの人はみんなやっているのですね。自発的財産寄進は推奨で、行うことが良いこと、物の売り買いは許容であってするしないは自由ですというスタンス。月経中の妻の離婚は忌避でしない方がいいという感じです。殺人や窃盗などは禁止となり、行ってはならないとなっています(当たり前ですね)。
また、食事に関しては豚肉が基本的には禁止されています。私も詳しくはわかりませんが、作法に則り殺された肉以外は禁止というルールがあるみたいです。
なので、特別なハラール食品(イスラム法的に合法的な食品)が世界中で買い求められています。
2つの宗派
イスラムには2大宗派が存在します。大きな違いはありませんが、この宗派が分かれている理由は政治的な指導者を誰にするのか⁉︎という問題で別れたと言われています。
それがシーア派とスンナ派の、2宗派です。事の発端は、ムハンマドが亡くなった後に親類の人が指導者としてそのポストについてました。そして4代目の指導者シーア・アリーが殺害されたことをきっかけに、アリーの党派を名乗る宗派、すなわちシーア派が分裂した事が宗派が分かれたきっかけです。
シーア派ではアリーの子孫を指導者として認めるというスタンスです。ちなみにシーア派はイランとその周辺に広がっています。
スンナ派ではウマイム家のムアーウィヤをアリーの次の指導者と認めるというスタンスで、こちらの方がイスラム教徒の多数派です。
ここら辺のことは詳しく記載がなかったので、気になる方は調べてみてください。
ヒンドゥー教
今まで紹介した宗教では1神教でしたが、このヒンドゥー教は多神教と呼ばれる宗教で、神様の数もすごく多いのご特徴です。
インド半島の各地で伝統的に奉じられてきた宗教または宗教的習慣をひとまとめにして『ヒンドゥー教』と呼び、『ヒンドゥー』とはインダス川のことを指す様です。
インドではその他にもジャナイ教、仏教、シク教などが生まれましたが、これらの宗教とは別物の宗教として考えるのが一般的です。しかし、インド生まれの宗教で共通しているのが、いずれも『輪回転生』を教えの根幹に持っている点です。
ヒンドゥー教の教えには『輪廻』と『解脱』の2元論として整理できます。人間は幾度も生まれ変わるという考えが『輪廻転生』という考え方です。
善い行いをすると好ましい生に生まれ直して、悪い行いをすると今よりランクが落ちた生に生まれ変わるという考えです。
この様な浮き沈みが煩わしいと感じる人に勧められるのは神々の信仰と自力の瞑想になります。熱心なヒンドゥー教徒は、自分が信じて尊崇する神を徹底して拝むか、瞑想に励みます。
この行為が信者を輪廻の浮き沈みを超えた世界へ導きます。これが『解脱』です。別の言い方をすれば、『悟りを開く』とか『天国行き』になるとか言っても良いかもしれません。
ヒンドゥー教の最も古い段階のものは『婆羅門教』と呼ばれてます。これは婆羅門と呼ばれる司祭階級が幅をきかせていたからです。
婆羅門は祈りの文句や賛歌を暗記して、それらを書物にまとめました。それが『ヴェーダ』と呼ばれるものです。
ヴェーダは後にヒンドゥー教の教典となりました。この教典には哲学的な内容も書かれており、ヴェーダの思想は1つの結論に達しました。
それが『人間の本質であるアートマン(我)は、宇宙の本質であるブラフマン(梵)と一致する』(梵我一如)という思想です。
はい、全く意味がわかりませんね。
宇宙の本質であると言われても宇宙自体解明できていない部分の方が多いわけですし。なんとなくわかるのは、何か霊的なエネルギーが宇宙にあり、それと人間は本質的には同じだという事の様です。
なので、瞑想などで自分を高めて悟りを得れば人間は神の様な存在になれる?とか近づける?という事になるみたいです。
ヒンドゥー教徒の人生目標
ヒンドゥー教の世界観の根底は輪廻です。簡単にいえば、何度も生まれ変わるので、人生は一回きりではありません。
なので、今の人生で徳を積んで来世をより良くしないといけません。そして、それを達成するには3つの目標を達成する事が大切であるとされていますので、紹介したいと思います。
第1はダルマ(社会規範)を守る事。
『マヌ法典』に記させてる礼儀や身分に応じたライフスタイルを守る事とされてます。理想的人生とはヴェーダを学ぶ『学生期』、結婚して家庭を築く『家住期』、俗世を離れて森林などで暮らす『林棲期』、各地を遊行する『遊行期』の4つからなるものです(四柱期)。
カースト制度(上から婆羅門、王族、庶民、奴隷と区分されており、さらに数多の職能集団に分かれる)も、社会規範の中に入ってましたが、その様な社会の垣根や身分差別は現在の社会では否定されています。
第2はアルタ(物理的な利益)を求める事。政治や経済での成功の事の様です。
第3はカーマ(性愛や種々の文芸)を洗練させる事とあります。
ダルマ、アルタ、カーマを求めるのは一般的な人生の目標指針となりますが、その上には聖なる目標があります。
それが先ほど紹介した解脱(モクーシャと呼ばれてる)です。インドといえばヨガですが、ヨガを追求しヨガ三昧に生きたとしても、神々へ信愛を尽くす事により解脱は可能とされています。
ヒンドゥー教の人気の神様
1神教では崇拝する神様は決められており、ユダヤ教ではヤハウェ、キリスト教ではキリスト、イスラム教ではアッラーと宗教ごとに決められてます。
しかし多神教では色々な神様が存在するのでそれぞれ崇拝する神も異なってきます。そんな神の激戦区ヒンドゥー教で、特に人気のある神様を2名紹介します。
ヴィシュヌ神
温厚な神様でたくさんの化身(調べると10身くらいはいます)を持つことで知られます。
世界維持の神と言われており、太陽を神格化した神がヴィシュヌ神と言われてます。
この化身の中にはブッダも入っています。世界が悪や混沌によりやばい時に、この世界に化身として降りてきて悪をやつけて世界を維持してくれる・・・みたいな力を持っているみたいです。
最も人気のある化身はクリシュナとラーマ。クリシュナは叙事詩『マハーバーラタ』の中の哲学詩『バガヴァッド・ギーター』に出てくる神です。
神は武将アルジュナに対して、自己の本分を尽くす事が解脱への道と説きます。
インド建国の父マハマト・ガンディーが『バガヴァッド・ギーター』を奉じて非暴力闘争という自らの道を貫いた事は有名な話ですね。
ラーマは叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公。魔王にさらわれた妃シーターを救出する話です。
その中で猿の将軍ハヌマーンが活躍しますが、これが最遊記の孫悟空のモデルになったと言われています。
シヴァ神
自ら修行に励む神様で、神々のために献身する神でもあります。破壊と死の神と同時に生殖と豊穣の神でもあるとされています。日本では七福神の『大黒天』として知られてますが、見た目はインドのシヴァ神とだいぶ違っちゃっています。
また、シヴァにはガネーシャという象の頭を持つ息子がいます。こちらも有名ですね。ガネーシャは富や学問の神様と言われています。
仏教
仏教は紀元前5世紀頃のインド人『釈迦』の始めた宗教です。
インドではその頃、ヒンドゥー教の司祭階級である婆羅門の権威に服していました。その支配から一歩距離を置いたのが仏教の伝統です。
釈迦の運動では自己の心を研ぎ澄ます修行に強みと新しみがありました。
一時期は活発に活動していましたが、やはり民衆的な神々の信仰であるヒンドゥー教が盛り返してきた事により、インド本国から仏教は姿を消しました。それが13世紀頃のことでした。
しかし、仏教はインド以外の国では存続してきました。スリランカ、インドシナ半島(ビルマ、タイ、カンボジアなど)は初期の仏教に近い形態のテーラワーダ仏教が存続しています。
そこからチベットや中国本土、ベトナム、韓国、そして日本では多神教化した大乗仏教が存続しています。
仏教の世界観の基本はヒンドゥー教と同じで『輪廻転生』です。その転生の浮き沈みを厭わしいと感じれば、修行や信仰で自らを高めて超越して心を養っていきます。
これもヒンドゥー教と同じ『解脱』の考え方ですね。この解脱の道を完成させたのが開祖の釈迦で、釈迦は『ブッダ(目覚めた者)』という称号を得ました。
ここまではヒンドゥー教と変わらないじゃんと思います。しかし、仏教では具体的な修行の方法や礼拝の対象が異なると言われています。
ヒンドゥー教は民衆的で土俗性を保っており、仏教は伝統へのこだわりはなく、理論的であったため、インド国外にどんどん伝わっていったとされています。
ヒンドゥー教と仏教の違いを簡単に説明します。
ヒンドゥー教
- 民俗的→その土地の民族の誕生秘話や社会制度(四制制度)がある。他の宗教の人がヒンドゥー教徒になりたい!と言って改宗しても、1番下の身分の人にしかなれず、しかも身分は一生変わりません。
- 宇宙の創造→簡単に言うと、神様が宇宙を創造して、その後にこの世界や生命、森羅万象を作り上げたと言う世界観です。
- 身分・差別→ヒンドゥー教には身分を4つに分ける風習(カースト制度や四姓制度と呼ばれる)。身分は生まれてから一生変えられないもので、他の身分の人とは一緒に食事なども出来ません。特に男尊女卑が強いと言われており、女性は生まれてからは父に従い、結婚したら夫に従い、夫が死んだら息子に従うという『三従』が教えられていました。また、夫が死んだ後も再婚は許されずに、後を追って死ぬ殉死の風習もある様です。この様に、身分や男女の差別が宗教的な特徴としてあります。
- 多神教→ヒンドゥー教は多神教でたくさんの神様がいますが、その中でも、宇宙創造のブラフマー神、世界を維持するヴィシュヌ神、破壊を司るシヴァ神が人気です。
- 運命の考え方→神様に祈ったり祀ったりして神を信仰する事で神様から恩恵を賜るという考え方
仏教
- 世界宗教→民俗性や社会制度などは無く、誰にでも受け入れやすい内容となっているため、アジア圏の国々の広い範囲で広まったとされています。
- 因果の道理→『すべての出来事には必ず原因がある』と言う世界観です。なのでその神が生まれた理由や神様が宇宙を作った理由はと聞かれると答えが見つかりません。なので神が宇宙を作った事に否定的です。これを『無始無終』といい、世界は始まりのない始まりから、終わりのない終わりへ続いていると考えられています。
- 平等意識→ヒンドゥー教から派生した宗教ですが、仏教では全ての人が平等であると説かれており、身分や男女の間に差別的なものは含まれておりません。
- 神の存在→仏教ではこれといった神は出てこず、強いていえばお祭りとしてお釈迦様の誕生日を祝うくらいのものしかありません。
- 運命の考え方→仏教では神に祈ったり祀ったりはしない様に教えられています。と言うのも、先程書いた『因果の道理』が関係します。主に3つの考えで『善因善果』、『悪因悪果』、『自因自果』があります。因とは『業』で行いのことを指します。つまり自分の行いで良し悪しが決まる、一言で言えば『因果応報』と言う考えが仏教の基本になるので、神頼みじゃなくて自分の行動で全ては決まると言う考えになります。
煩悩と悟り
仏教では修行を行うことで欲望に踊らされた『煩悩』だらけの心を卒業して、何にも囚われない心を養うとされています。
例えば何か欲しいという欲を神頼みするのでは無く、その欲望を観察してそれに意味がないことを悟ると言うものです。
自分の心を欲望から解放するのです。自分の欲望や世界の諸々の事象にも、執着すべき実態はないということを悟るのが仏教の目標です。
なので仏教では『無』や『空』といった言葉を多様します。心には常に欲望が湧き出てくるので、そのことを自覚して悟り、心を『デフォルトの設定』に戻していくと言う考えです。
これはやってみると中々に難しい事だと思います。だから、厳しい修行を積んで鍛錬する必要があるのでしょう。
初期の修行カリキュラム
釈迦は弟子が少ない時は相手によって臨機応変に教えを説いてましたが、弟子が増えていくと個別に教えることが難しくなります。なので次第に修行のプログラムと戒律が整備されていきました。
プログラムの中核は【八正道(悟りのための基本八箇条)】です。それぞれ見ていきましょう。
正見 | 『四諦』という根本方針を理解する。この四諦とは①苦諦(人生の苦を見据える)、②集諦(苦の原因である煩悩を見据える)、③滅諦(苦を滅する事を目指す)、④道諦(そのための道である八正道を忘れない)という四箇条の事。 |
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正思 | 思考の慎み:怒りや害意を離れた思考をすること。 |
正語 | 言葉の慎み:嘘や中傷や軽口を避ける。 |
正業 | 清い暮らし:殺生・盗み・邪淫を避ける。 |
正命 | 清い暮らし:適切な生活手段とシンプルライフ |
正精進 | 努力の方向性:悪を抑え、善を涵養すること。ちなみに涵養とは『自然に水がしみこむように徐々に養い育てること』という意味だそうです。 |
正念 | 瞑想:心身を観察すること |
正定 | 瞑想:正しく精神統一すること |
この八正道を保持するための集団生活用の規則が、出家者の200以上ある戒律と言われてます。ルールが多すぎますね。
流石にそんな多くは把握できませんが、在家者の場合はもっとシンプルに次の五戒を努力目標としています。下の表を参考にして下さい。
不殺生戒 | 生物を殺さない、殺しを容認しない |
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不偸盗戒 | 与えられないものを盗らない |
不邪淫戒 | 淫行を回避する(他人の配偶者を犯すなどはダメ!) |
不妄語戒 | 嘘を言わない |
不飲酒戒 | 酒を飲まない |
ほとんど多神教?
ほとんどとは、仏教における『神』にあたるのが仏や菩薩と呼ばれる存在です。大乗仏教では釈迦の他にも宇宙には無数のブッダがいるという設定です。
例えば薬師如来というブッダがいます。『如来』は『ブッダ(=仏陀、仏、ほとけ)』とほぼ同じ意味を持つ称号です。
薬師は薬を扱う人を言うので、薬師如来は仏教の薬の神様という様な意味合いになります。教えを説く釈迦が、人々を癒す医者の様だという比喩から生まれた仏様だとかそうじゃないとか・・・
また、よく聞く人気のブッダでは『阿弥陀如来(阿弥陀仏)』があります。鎌倉の大仏は阿弥陀如来ですし、浄土宗や浄土真宗、時宗といった日本で派生した宗派は、このブッダに救いを求める宗旨です。
ちなみにこの浄土というのは所謂ユートピア的な所で、阿弥陀が住んでいる良いところだと信じられています。インドで生まれた頃の阿弥陀信仰では、とりあえず今の苦しい世界(穢土)じゃなくて、もっと楽な浄土へ行って修行しましょう。といったものです。この浄土へ行くために修行を行うというのが仏教の基本的な考えです。
ちなみにブッダになる前の仏候補生の事を『菩薩』と呼びます。インドではボーディサットヴァ、漢字に直すと菩提薩埵、略して菩薩となる様です。
ボーディサットヴァとは、もともと開祖の釈迦の王子時代の称号です。悟ってからの王子はブッダ(目覚めた者)という称号で呼ばれてます。
悟る前の称号を使うわけにはいかないため、ボーディサットヴァ(目覚めに向かう存在)と呼ばれていたみたいですね。
ちなみに菩薩もたくさんいて、代表的なのが『観音菩薩』、『地蔵菩薩』、『弥勒菩薩』、『文殊菩薩』あたりだと思います。興味がある方はそれぞれ調べてみてください。今回は割愛します。
日本には仏教と言っても色々な宗派があり、そこで信仰している仏や菩薩、如来がいます。
とまあ色々な仏、如来、菩薩を、それぞれの宗派で違う仏や菩薩を信仰しているみたいです。ヒンドゥー教などの多神教の世界観は似た様な感じですね。
まとめ
さて、今回は『教養として学んでおきたい5大宗教』を紹介しましたがいかがでしたか?
宗教ってなんかとっつきにくい、何か怪しい、多額のお金を請求される・・・などあまりいいイメージ無かったですが、改めてその世界観をみると、神様や仏様がいて死んだ後も信仰次第で救われるというのは全ての宗教に共通しているのかなと感じました。
それぞれのストーリーや宗教独特のルール(戒律)などがあり、すごく面白みがあると感じました。今回の本では本当にその宗教のさわり、断片部分しか紹介されていなかったので、とりあえず宗教ごとの主要な世界観やルールが簡単にわかる様にしてみました。
全然知らないと宗教と聞くだけで拒否反応が出てましたが、知る事でその宗教を信仰している人の文化や考え方が少しわかってくるのかなと思うので、非常に勉強になったなと感じました。
世界の歴史は宗教の歴史といっても過言ではないかと思います。歴史の勉強にもなりますし信じる信じないは別にして、どんな宗教があって、どんな神様が信仰されているのか『知る事』で、変な偏見を持たずに宗教を認知する事が大切だと思いました。
それでは今回はこれでまとめとさせてもらいます。長文でしたが最後まで読んで頂きありがとうございます。また次の本紹介でもよろしくお願いします。